ライトアップ(南、北備讃瀬戸大橋)

年号またぎ、西日本周遊の旅(1)

今回は19年4月27日(土)~5月3日(金)の7日間、移動時間、距離、そして宿を勘案の上、西(九州)を目指す旅。改元での今年だからこそ実現(実行)した、旅程、帰着日をあまり気にしない、恒例のほぼノープランの旅、拡大版(全7回)です。


1日目(4月27日 土曜日)

4月27日土曜日、出発の日。前の晩に降り出した雨が朝も止まずに残る、あいにくの天気。しかし、渋滞を少しでも回避するために雨の中、出発することに。東京インターから高速道路で西へ、決行直前に予約した宿泊地の宇多津(香川県)を目指します。

途中、予想外の渋滞はなく、鮎沢PAで1回目の休憩。多少の雨や標高もあるため意外と肌寒く、エンジンの排熱で暖をとり出発。神奈川県(1都府県目)を抜けて、御殿場より新東名へ。あいにく富士山を望むことはできませんでしたが、ここまで来ると雨は上がり、雲の切れ目が見えるようになってきました。最初の燃料補給のため駿河湾沼津SAで2回目の休憩。鈍色の雲が浮かぶものの、海側は視界良好。沼津市内、伊豆半島方面、そして水平線も見ることができました。

燃料満タン、再び西を目指します。最高速度120km/hとなった試験区間の速度規制表示を眺め、静岡県(2都府県目)を横断。3回目の休憩は掛川PA。青い看板の吉野家で、朝そばの遅めの朝食を取り、先の名古屋を目指します。途中、新幹線ではない、JRAの馬運車、コダマ号を追い越し、愛知県(3都府県目)へ。風がやや強いものの、出発時とはうってかわって快晴に。先に若干の渋滞があるようなので、ルート選定のため、尾張一宮PAに入りました。

スタバのコーヒーを飲みながら、ネットで周辺情報をチェック。スマホでのネット接続が出来なければ、この旅はままならないなと思いつつ、養老鉄道で元東急の7700系が27日から営業運転というものを見かけたので、その情報だけで養老鉄道の沿線への寄り道を決定。地図で川沿いで何となく景色の良さそうな鳥江駅にナビゲーションをセットし出発、一宮ICで高速を降りました。


千代保稲荷神社(おちょぼ稲荷)

見覚えのある風景、17年の年末に電車で訪れた眞清田神社の前を通りすぎ、街中を抜けて木曽川を渡り岐阜県(4都府県目) に入ります。岐阜羽島駅の脇を通りすぎ、長良川を渡るとすぐに「おちょぼ稲荷」の文字ときつねのイラストの描かれた案内看板が視界に入りました。気になって引き寄せられるように畑道を走り最寄りの公園へ。

おちょぼの名は「お千代保」からきた愛称のようで、地図には千代保稲荷神社と表示されています。平安時代から続くとされる神社で、御利益としては商売繁盛など、地元では三大稲荷に数えるとか数えないとか。境内は意外とこじんまりとしており、一角の百度石には外套を纏った、色々なお姿のお稲荷様が並んでいます。そして、拝殿にはお供え物台があり、油揚げが供えられていました。

参拝後、もと来た公園の方へ戻るため、参道側をまわり軽く散策。お土産店のほか、飲食店も多く、昼過ぎにも関わらず多くの観光客で賑わっており、御利益通りの繁盛ぶりでした。参道入口の大きな鳥居を横に路地へ。おっ、狐?何かが動く影、狐にしては丸っこい姿。それは水面をのぞき込む猫でした。

裏路地を抜けてもと来た公園へ。園内には江戸時代、幕府の命にて薩摩藩が行った木曽三川分流工事の指揮を執った薩摩藩家老、平田靱負(ひらたゆきえ)像があります。公園のある場所も長良川と揖保川に挟まれた場所で、付近も含め濃尾平野は水害が多くあった土地。後々調べ、通りすがりとはいえ、歴史の一片を知るきっかけになって良かったです。今は穏やかな平野、八重桜の花びらの舞う、平田靱負ロードを走り、当初の目的地の「鳥江駅」へ。


鳥江駅(養老鉄道)

田の広がる道を抜け、揖保川を渡ると、コンクリートの鉄道橋が見えてきました。目的地、鳥江駅は予想とは違い、高架上にある駅。タイミングよく電車が入線してきました。下から写したので車体の上半分しか見えていませんが、期待していた元東急の7700系ではなく、620系でした。車体側面に全通100周年のステッカーを付けていますが、養老鉄道は前まで近鉄の一路線、元東急の車両に置き換わっていくようですが、近鉄時代のものが多く現役で走っています。以前、伊賀鉄道や四日市あすなろう鉄道沿線を訪れたことがありますが元近鉄路線という鉄道が周辺地域には多く、事業形態を変えて、引き続き地域の足として頑張っている姿が勇ましく思えました。

橋を走る車両を写すことはできませんでしたが、鳥江駅の入り口には現在の橋が架かる前に使用されていた鉄橋(旧牧田川橋梁)の一部が置かれ、説明看板が立てられていました。1888年のイギリス製とのことで、単純計算で当地で84年間使用されていた旧橋梁。何気なく決めて訪れた駅ですが、日本の鉄道創始時代の遺物が見られて幸運でした。


鳥江駅を出て、線路と並行する牧田川沿いの道を西へ向けて進みます。歴史の大舞台、関ヶ原のインターチェンジより、再び高速道路で西を目指します。名神高速、関ヶ原トンネルを抜け滋賀県(5都府県目) へ。瀬田東ICでハンドルを切り、京滋バイパスルートで京都府(6都道府県目)を通過し、大山崎ICで再び名神高速へ。そして、大阪府(7都道府県目)に入ります。吹田ICで中国自動車道、大阪モノレールと並走し、万博記念公園、大阪空港付近を抜け、兵庫県(8都道府県目)に。日も落ち始め、ルートの確認と軽食のため、西宮名塩SAで休憩。そして、神戸JCTで山陽自動車道方面へ進みます。


道の駅 一本松展望園

岡山県(9都道府県目)に入るころには日も落ち、ナビゲーションの指示で山陽自動車道を備前ICで降りると、走る車もまばらに。街灯の無い道、間違ってはいないようで、岡山ブルーラインを通り、岡山市内、瀬戸大橋までショートカットできるようです。瀬戸内海に面した高台を縫うように走り、途中の一本松で停車。道の駅が設置されており売店やミニ鉄道公園がありましたが、営業時間もとうに過ぎてしまったようで静寂に包まれていました。日中の景色はまた雄大なのだろうなと思い、夜の瀬戸内海(前島方向)を頂上展望台から眺め、先を目指します。

終点、君津ICで山陽道(国道2号線)に合流し、若干混雑する岡山市内を抜けた後、早島ICで再び高速道路に。すっかり暗くなってしまいましたが、ライトアップされた瀬戸大橋を走ることができそうです。


瀬戸大橋

10年以上前、香川観光の際に坂出駅から橋に向かって歩いたものの、思いのほか距離があり、辛うじて見える辺りから南備讃瀬戸大橋(瀬戸大橋の南側の吊り橋)の一部分だけを見た程度。鉄道でも渡ったことがなく、橋を渡るのは今回が初めてです。本四連絡3ルートの中で一番古く、1988年4月に開通して、30年ほど経過した瀬戸大橋(北備讃瀬戸大橋など計10の橋、高架橋の総称)。明石海峡大橋(17年11月に走行)を先に走行してしまったので、大きさでは負けてしまいますが、構造の異なる橋の連続や二連の吊り橋。そして、鉄道道路併用橋(道路が上層のため、鉄道は見えません…)であるなど、橋の博物館を巡っているようです。走行中、標識でそれぞれの橋の名称、坂出寄りの二連の吊り橋(北備讃瀬戸大橋と南備讃瀬戸大橋)の中央付近のアンカレイジが最高地点であることなど知ることができました。景色については夜のため、瀬戸内海の島々などは見えませんでしたが、ライトアップされた橋そのもの、そして、対岸の坂出の夜景を見ることができました。

瀬戸内海を渡り、香川県(10都府県目)へ。坂出ICで降りて、宇多津の宿に到着しました。ライトアップは22時までのようで、チェックイン後に出直して、橋の見える場所まで向かい、ライトアップされた瀬戸大橋を写真に収めることができました。

1日目は765km(googleタイムラインによる)で、高速道路を多用したものの、1日の移動距離としては自身最長。昔は飛行機で来るものだと思っていた四国ですが、近く感じるようになったものです。1日目だから出来たのか、少しでも疲労をためないため、宿泊プランに付いていた温浴施設のチケットを利用し、スーパー銭湯でゆったり、翌日に備えることにしました。

19年4月28日(日曜日)に続く…


なお、掲載している情報は旅行当日(2019年4月)の情報のため、ご覧いただいた時点では異なる場合がございます。ご旅行の参考とする場合(特に交通機関やイベント等)は事前に確認の上、検討をお願い致します。
同地域への旅行を検討されている場合の参考になれば幸いです。

2日目(19年4月28日)香川、徳島、高知、愛媛…年号またぎ、西日本周遊の旅(2)へ
3日目(19年4月29日)愛媛~大分…年号またぎ、西日本周遊の旅(3)へ
4日目(19年4月30日)大分~島根…年号またぎ、西日本周遊の旅(4)へ
5日目(19年5月1日)島根~鳥取、但馬…年号またぎ、西日本周遊の旅(5)へ
6日目(19年5月2日)鳥取、但馬~愛知…年号またぎ、西日本周遊の旅(6)へ
7日目(19年5月3日)愛知~東京…年号またぎ、西日本周遊の旅(7)へ