三鷹こ線人道橋

街歩き(三鷹跨線人道橋)

徐々に気温は下がり冷えて澄んだ空気になり始め、冬らしさを感じるようになりました。23年12月に三鷹駅近くの老朽化や耐震基準の関係で撤去が決まった三鷹跨線人道橋を訪れたときのこと。10日が通行できる最終日とあって、橋の上は電車を見送る人々で賑わっていました。

東京都三鷹市にある中央線の駅、三鷹駅。橋上駅となっており、改札を抜けて、右が北口、左が南口で、アトレのミニ版の「atre vie」があり、駅周辺は隣の吉祥寺のような賑わいはありませんが、落ち着いた雰囲気です。

南口を出て線路沿いの電車庫通りを500mほど、進んで行くと背の高い建物は減っていき、住宅街へ。すると、間もなく右手に三鷹跨線人道橋が見えてきました。階段を上る手前にひっそりと太宰ゆかりの地と記された案内看板が設置されていますが、橋より後に設置されたと思われるものの、面板の劣化が激しく、辛うじて読み取ることができる状態です。

金網の設置や塗装などの補修は施されてきていたと思われますが、橋自体は昭和4年に竣工した当時の姿を留めているそうです。しかし、撤去が決まっていたためか、塗装の一部は剝げ、錆びが所々に出ています。

橋は至ってシンプルな造りで、不要となったレールを用いた骨組みがレトロな感じを醸し出しています。さっそく、太宰治も渡った跨線橋の階段を上っていきます。ステップのコンクリートは荒々しく、風化して鉄筋が見えていました。

橋上には老若男女、橋やそこからの景色を眺めようと人々が往来しており、誘導員の姿もあります。南北を繋ぐ80m程度の橋の部分はまるで鉄橋のような姿で、用途は不明ですが、あとから設置されたような、やぐらのような形状の設備も見受けられます。

また、本線上は後になって補強されたのでしょうか、H鋼で覆われており、古レールで組まれた部分よりしっかりとしているようです。橋そのものも見応えがありますが、それよりも、金網越しですが、車庫に出入りする車両や中央線を走る電車を眺めることができるため、子供達には人気のスポットのようです。最終日も子供連れで賑わっていました。

本線上を電車が通り過ぎるとき、一部の電車は跨線橋の上から手を振る人々に、警笛を鳴らし応えてくれています。

北側階段下りて、橋を下から見上げられるポジション(線路上がほとんどのため)に。近くのバス停は「跨線橋前」という名称になっていますが、この名前は跨線橋の撤去後も残るのでしょうか。再び橋を渡り南側へ。来たときより人の数は増えていて、賑わいを増していました。

南側階段の金網には撤去のお知らせと、近くの地下道の利用を促す案内が掲出されています。12月11日以降の南北移動は若干三鷹駅寄りになるものの、堀合地下道整備されており、その地下道を利用することになるようです。

撤去工事の日程は決まっていない(掲出されていない)ようですが、三鷹の車庫に架かる橋を見られるのも長くはなさそうです。老朽化はやむを得ないものの、バス停の名前と面影は残ってほしいと思う場所。そんな、最後に賑わう跨線橋を背に三鷹の街を後にしました。

なお、この記事の情報は旅行当日(2023年12月)のもので、投稿時点で無いもの、変わってしまったものなど、状況が異なります。同地域への旅行を検討されている際、過去の情報(資料)として参考となれば幸いです。

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