だいぶ時は経ってしまいましたが、今回は3年前の今と同じ季節、2017年5月3日~5日にかけて、ふらり春訪れる東北へ旅したときのこと。思い出しながら復習の旅路を続けようと思います。
毎度のことながら、天候と相談し、一週間前に大まかな旅程を立てたふらり旅。最終日の3日目は岩手の宮古から東京に戻るまで。復興に向けて変わる三陸の海沿いを巡る、東北縦断の旅です。
※2017年5月の情報のため、過去の旅に出掛けた気分でお楽しみください。
岩手県宮古市。宿を後にし、列車の見える眺めのよさそうな場所を目指して、国道45号線を逆方向へ進行。市街地を抜けて、海沿いを走ります。
田老駅
宮古駅から4駅目の田老駅(17年の際は三陸鉄道北リアス線)。駅からの眺めがよさそうだったので、駅前を軽く朝のウォーミングアップを兼ねて散策。列車も待つことなくやってくるようだったので、待つことにしました。
無人駅、ホームまでは階段で。錆びた骨組みと隙間からこぼれる日差し。田老駅はすれ違い設備がある1面2線のプラットホームです。ホーム上から、太陽光発電所、その先に港が見えます。
駅名看板には映画のタイトルのような「銀色のしぶき」とか「マリンブルーのそよ風をぬって」など、何となくロマンチックな言葉が並んでいます。そろそろ列車がやってくる時間だったので、駅を出て、やってきた列車を見上げる角度で一枚。列車を見送り、再び宮古方面へと戻ります。
浄土ヶ浜
10時頃、三陸復興国立公園を代表する景勝地、浄土ヶ浜の駐車場に到着。浄土ヶ浜の名称は約300年前に宮古山常安寺七世の霊鏡和尚が「さながら極楽浄土のごとし」といったことより名づけられたと言われているそうです。
ビジターセンターを下ったところに遊覧船乗り場があり、訪れた際にちょうど入港していきました。青い空に透き通った穏やかな海。トンネルをくぐって、浜のあるレストハウス方面へ徒歩で移動します。
三陸のリアス式海岸、入り組んだ海岸線。人と同じく、その場に魅了されたウミネコたち? えびせん目当てのようですが、親子そろって飛び回っていました。国指定の名勝とともに日本の快水浴場百選(環境省)に選ばれており、夏には海水浴客で賑わうようです。
道の駅 みやこ
浄土ヶ浜を出て、再び宮古市街地へ。港寄りに道の駅 みやこがあります。見学程度に立ち寄り、港へ。釣り客などで賑わっていました。また、駐車場にウミネコ、ではなく、かもめの玉子のトラックが止まっていました。
山田町
早くも正午前。東京まで、600km程度。ゆっくりと観光したいものですが、国道45号線、JR山田線(17年の際は不通、19年3月に三陸鉄道として再開)と並んで走るように南下します。山田湾とそこに浮かぶ養殖いかだを眺めてから、昼食を兼ねて道の駅 やまだへ。バイクに座って食事中、目の前の草むらでたんぽぽの綿毛をつついて食べるスズメと相席ならぬ、相食事。
何となくほっこりした気分で次の目的地を目指します。ただ、沿線には津波浸水区間を示す標識が各所に設置されており、復興の途中。変わりゆく景色と変わらない景色が混在する。そんな街並みを記憶しながら走り抜けました。
甫嶺駅
釜石市内を通過し、三陸駅付近で県道9号線を道なりに進んでいくと、駅があったので、寄り道しました。
そこは甫嶺駅(17年の際は三陸鉄道南リアス線)、サブタイトル?は金のしずく。時刻表を調べると間もなく列車が到着するようだったので、青と茶の色鮮やかなイソヒヨドリのオスが囀る中、静かな海沿いの無人駅のホームで待つことに。
南側から釜石駅行きの列車が入線してきました。甫嶺駅での乗車、下車はありませんでしたが、車内はお客様でいっぱいです。バイクウェアを着たまま、ホームで写真を撮っていたので、運転士の方から、ツーリングですか?と声をかけていただきました(乗客でなくて申し訳ありません…)。列車を見送ってから、こちらも出発進行です。
恋し浜駅
引き続き、県道9号線。甫嶺駅のお隣、高台にこれまたロマンチックな駅名看板が立っています。恋し浜駅(17年の際は三陸鉄道南リアス線)です。サブタイトル?は愛の磯辺。小石浜が地域の名称ですが、地元のホタテ貝の名称としてあった恋し浜ホタテに合わせて、09年に小石浜駅から恋し浜駅に改名したそうです。駅名看板に並んで幸せの鐘が設置されています。
プラットホームには「三鉄の 藍(愛)の磯辺の 小石(恋し)浜 かもめとまりて 汐風あまし」と短歌が詠われ、恋し浜ホタテの貝殻が待合室に掲げられていて、絵馬のように願掛けができるようです。震災復興を願うものから、恋の願掛けなど多くの願い事で満ちていました。また、無人駅ですが、駅員?さんも常駐しています。
恋のつく駅は日本に4つあるそうで、恋し浜駅はその1つ。ほかにJR北海道の母恋(ぼこい)駅、智頭急行の恋山形駅、西武鉄道の恋ヶ窪駅。その案内が待合室に掲出されていました。
列車は先ほど甫嶺駅で見送ったばかりなので、すぐにはやってこないですが、野生のお客様がふらりと姿を現しました。顔が見えないので、はっきりはわからなかったのですが、後々調べてみるとニホンアナグマっぽいようです。
駅を後に、高台から恋し浜駅と越喜来湾(おきらいわん)を眺め、三陸町の海を後にしました。
県道9号線を進み、大船渡のコンクリート工場。盛川を渡り、再び国道45号線を走ります。
陸前高田(奇跡の一本松)
大船渡駅付近からBRTとして復旧した大船渡線と並走し途中、大船渡碁石海岸ICから三陸自動車道で陸前高田ICまで。そして海沿いへ。
15時過ぎ、旧道の駅 高田松原にバイクを停めて、整備中(17年の際。現在は高田松原津波復興祈念公園、道の駅高田松原)の歩道を歩き向かいました。旧道の駅も津波の被害を受けた建物で、当時の状態のまま建っていました。
歩いて10分ほど。ぽつんとそびえる松の木。震災前は名勝高田松原として7万本もの松林が広がる観光地だったそうです。しかし、11年3月の津波によって壊滅的な被害を受け、唯一残った松の木(海水により根腐れしたため、人工的な処理をし保存)をモニュメントとして残したもの。それが「奇跡の一本松」です。
訪れた際は大部分が整備中で、所々にその爪痕が残っており、枯れた木などがそのままになっていました。
奇跡の一本松にはJRのBRTも通っており、車両(バスそのものですが…)見るのは初めて。旧道の駅に戻る際にちょうど停車していました。
陸前高田を後にし、徐々に日も暮れ始めます。陸前高田長部ICより再び三陸自動車を使い、宮城県へ。気仙沼まで向かい、三陸の海に別れを告げ、県道65号線、国道346号線と山沿いの道を進んでいきます。
道の駅 林林館(登米)
17時を過ぎ、宮城県登米市。ようやく宮城県か、岩手県は広かった…、と思いながら通り道にあった道の駅 林林館で腹ごしらえ。後は日が落ちるだけで、時間的にも寄り道せず東京へ帰るだけ。
道の駅には観光案内看板があり、観光は時間的に叶いませんでしたが、ラムサール条約登録湿地である伊豆沼や石ノ森章太郎ふるさと記念館などがあり、市内には北上川が流れています。
閉店間際で値引きされていたお弁当を食べながら、帰り道を検索し、いざラストスパート(まだ仙台より北ですが…)、道の駅を後にし、二股川沿いを下り、その途中、森合バス停付近。霞む夕日を眺め深呼吸し、東京に向け出発です。
登米東和ICより登米志津川道路(三陸自動車道)で仙台方面へ。日も暮れ、徐々に空は紫色に染まっていきます。その中を松島、仙台港と抜け、常磐道方面へ進んでいきました。
常磐道で東京まで
常磐道に入るころには辺りは真っ暗。途中に給油のタイミングがなく、燃料が無くなってきたため、やむを得ず岩沼ICで降り、ガソリンスタンド巡り。ようやく見つけた給油所で満タンにし、亘理ICより再び東京を目指します。
常磐道を仙台から走るのは初めて。一般道は震災の原発事故の影響で、二輪車の通行ができません(国道6号線)が、常磐自動車道は通行に限り二輪車でも通れることを事前に確認していたので、予定通り常磐道へ。福島県、未だ影響を受ける静まった地域を通り抜け、いわき市へ。初めてのいわきですが、21時頃…。四倉PAで休憩し、あとは茨城、千葉を抜け、都内を目指すだけ。
そして、夜のきらびやかな関東平野をゆっくりと走り抜け今回の東北の旅もおわり。また、違う季節、復興していく勇ましい姿を見に訪れてみたい。そう思わせられる旅でした。
おわり。次の旅路へ…
なお、掲載している情報は旅行当日(2017年5月)の情報のため、ご覧いただいた時点では異なる場合がございます。ご旅行の参考とする場合(特に交通機関やイベント等)は事前に確認の上、検討をお願い致します。
同地域への旅行を検討されている場合の参考になれば幸いです。
1日目(17年5月3日)東京~秋田にかほ市…雪解けて、鯉泳ぐ東北の旅(1)へ
2日目(17年5月4日)秋田~岩手…雪解けて、鯉泳ぐ東北の旅(2)へ
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